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03.20
Wed
工学部ヒラノ助教授の敗戦 日本のソフトウエアはなぜ敗れたのか工学部ヒラノ助教授の敗戦 日本のソフトウエアはなぜ敗れたのか
(2012/12/19)
今野浩




学部の4年間をすごした筑波大が舞台だと聞いて,書店で手に取ってみた.
立ち読みしただけだが,面白かったのでメモ.

著者は,筑波大が出来たての頃―まだつくばエクスプレスも,東大通りもない頃―に,情報学類の助教授として赴任したらしい.国際的に通用する新しい大学として期待された筑波大.しかし,開学当初の筑波大では,関係者のエゴや謀略がうずまき,激しい抗争があった.当時の学類編成をめぐる諍いに,著者が巻き込まれていく様子が(すばらしい記憶力で)描かれている.

筑波大が出来た背景には,いろんな「大人の事情」があったのだということはなんとなくは聞いていたが,全然知らなかったことも書いてあった.とくに面白いのは,筑波大の情報学類は,それまでのハードウェアを中心とした情報学部と一線を画した,ソフトウェア寄りの研究拠点として構想されていたということ.著者は,この構想が実現していれば,日本のソフトウェア研究は遅れを取らずに済んだのに,とまで言っているが,本当なのだろうか?そして,その構想をつぶす要因の一つが,「物理学帝国主義者集団」だったという.(物理学科卒としては複雑!)

「ヒラノ教授」シリーズは何冊も出ている.が,中でも著者は筑波大時代のことが実は一番書きたかった,というようなことをあとがきで言っている.しかし,あまりにも筑波大の暗部を描く内容になるので,知り合いの子息が卒業するまで出版を待ったのだとか.

著者は筑波大の助教授から東工大の教授へと「エクソダス」を果たした(僕も東工大の院へ進んだのでちょっと親近感を覚えた)というが,その後,筑波大はどうなったのだろうか?筑波に残っている友人や恩師などから話を聞くに,筑波大にはまだまだダークな部分が残されているような気がする.

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