09.23
Mon
先週の金曜日には,埼玉の理化学研究所へ出かけた.
目的は,理研BSI(脳科学総合研究センター)が主催するセミナ―.
今回は,私も院生時代に多大な影響を受けたGyorgy Buzsaki(ユーリ・ブジャキ)教授が来日し,しかも公開セミナーで話すというので,有給休暇を取って聴きにいった.
Buzsaki教授の研究は,著書:"Rhythms in the brain"(Oxford university press, 2006)に詳しい.彼らのおこなってきた実験は,ごく簡単に説明すると,「生きたネズミの脳(なかでも海馬)の中に電極を刺し,微小電流を測る」というもの.最近は,海馬の中にある場所細胞(place cell)に関する研究を主としているようだ.今回の話の主なテーマも場所細胞だった.
学会などで場所細胞の説明をするとき,発表者が必ず見せる実験の動画がある.黒い画面の中に白く見えているのは,簡単な迷路の中に置かれたラット.そのラットの頭には,電極が挿入され,いくつかの細胞の活動を観測できるようになっている.この動画では,その中の一つの細胞の活動電位を音に変換したサウンドが,迷路の中で走り回るラットの映像に重ねて再生されるようになっている.すると,ラットが迷路上のある場所の近くに来た時にだけ,「パ,パ,パラパラパラ」と,細胞が活発に活動していることを示す音が鳴る.つまり,(海馬のある領域の)この細胞は,空間上のある「場所」に反応して活動しているのだ.音声を別の細胞の音を切り替えると,今度は別の場所で反応する.そのまた隣りはまた別の場所…というふうになっていて,つまり,海馬の中には,外界のマップが形成されているかのようなのだ.
脳の研究者にとって,この動画は掛け値なしにショッキングで興味深い.なぜか?その理由を非専門家の人に説明するとしたら,まずは脳の中で各細胞がどのような情報を担っているのかについて私たちがどれだけ知らないか,を説明する必要があると思う.もちろん,神経細胞にはどんな種類があるかとか,どんな活動をするかとか,どんな遺伝子を発現しているかということについての知識は,ものすごい勢いで増えている.ところが,僕らが一番知りたいこと,つまり,「その神経細胞が,知能(記憶や行動)にどう役に立っているのか」については,ほとんど分かっていない.かろうじて,脳と外界の接点に近い感覚や運動に関係した細胞については,細胞の活動とそれが表現しているであろう情報との間に,かなり明確な関係がつけられている(視覚系でいえば「水平の直線に特異的に反応する細胞」,運動野でいえば「手の筋肉を動かす細胞」が知られている)が,そうした一部の脳部位の細胞を除いて,その細胞の活動が「何を意味しているのか」は,今のところほぼブラックボックスなのだ.
しかし,「場所細胞」が表現しているかのように見えるのは,「空間内の自分の場所」という,一次的な感覚からかなり距離のある概念.そんな細胞が海馬で見つかったことは,画期的だったのだ.…といえば,少しは伝わるだろうか?
場所細胞については,ここ数十年の間,いくつものグループで研究が続けられている.ネズミに限らず,蝙蝠や霊長類にもあることが分かっていて,面白い性質がいくつも見つかっている.場所細胞は,ネズミが歩いているとき以外も,たとえば寝ているときにも活動していて,それは実は歩行のシミュレーションをしているという説がある.また,空間だけでなく,時間をコードしている時間細胞(time cell)としての性質を示す実験結果もある.電気生理学的な現象としては,場所細胞の活動電位のタイミングと,海馬内の脳波(θ波)と興味深い関係性もある(これについてはBuzsaki教授らが勢力的に研究してきた).しかし,場所細胞は,まだまだ謎に包まれたままの部分が多い.何が場所細胞を活動させるのか?本当に場所を「表現」しているのか,場所細胞の発火自体は表層にすぎないのか?場所細胞の解釈は,まだまだ定まっていないのが現状だと思う.
(個人的には,この場所細胞の研究は,神経科学の中でも,最もエキサイティングな分野の一つだと思っている.なぜなら,すべての認知の土台となる「空間」や「時間」が,細胞レベルでどのように処理されているのかを明らかにする可能性をもっているからだ.伝統的に「空間」「時間」を扱ってきた,哲学や心理学などへ重要な(ボトムアップな)示唆を与えることになるんじゃないかという妄想.)
前置きが長くなってしまったが,今回の講演について.
Buzsaki教授は,まず(例の実験動画は見せつつ)「場所細胞」の概要を説明し,そのうえで最近の研究成果とそこから導かれる考察について話した.いくつかメモしておくと
・θ波と発火タイミングの位相前進は,実は,グローバルなθ波より少しだけ周波数の高い周期的発火の重ね合わせにより説明できる.
・場所細胞は,決まった順序(sequence)で発火するが,そのsequenceを生成するメカニズムは抑制細胞であることが,薬理実験によって確証された.
・動物を大きな環境に入れると,一つの細胞が受け持つ空間領域は広がるが,発火のタイミングは変わらない.このことから,動物は,時間的表象は不変に保ったまま,空間的表象の方を伸び縮みさせているのだと考えられる.
・多電極測定で得られたLFPの波形を,独立成分分析(ICA)で分離すると,場所特異的に反応する独立成分が現れる.これは「場所細胞」と似ているが,このいわば「場所成分」の方が,場所に対する選択性がむしろ高い(この話は,個人的に面白かった.具体的にどのようにICAを掛けるのか,聞いてみたかった).
Buzsaki教授は,場所「細胞」の活動よりも,その細胞に入ってくるシナプス入力の方が本質的だと考えていて("spikes are only the tips of the iceberg"とのこと),それを反映した測定としては,むしろLFP測定の方が良いのだ,という立場をとっているようだ.しかし,LFPはあくまでも測定の方便だ考えている点で,細胞外電場が積極的な機能を持っているとするKochや宮川先生とは少し違う考え方のように思えた.
まあ,私は研究者ではないので,そういう細かい話を勉強してもどうなるということでもない.でも,こういう研究の積み重ねの先に,一般の人にも分かる,空間や時間の認知についてのあっと驚く発見があるような予感がある.なので,引き続き注目していきたいと思う.
…Buzsaki教授は,案外,普通のおじさんという感じで,親しみやすそうな方だった.
目的は,理研BSI(脳科学総合研究センター)が主催するセミナ―.
今回は,私も院生時代に多大な影響を受けたGyorgy Buzsaki(ユーリ・ブジャキ)教授が来日し,しかも公開セミナーで話すというので,有給休暇を取って聴きにいった.
Buzsaki教授の研究は,著書:"Rhythms in the brain"(Oxford university press, 2006)に詳しい.彼らのおこなってきた実験は,ごく簡単に説明すると,「生きたネズミの脳(なかでも海馬)の中に電極を刺し,微小電流を測る」というもの.最近は,海馬の中にある場所細胞(place cell)に関する研究を主としているようだ.今回の話の主なテーマも場所細胞だった.
学会などで場所細胞の説明をするとき,発表者が必ず見せる実験の動画がある.黒い画面の中に白く見えているのは,簡単な迷路の中に置かれたラット.そのラットの頭には,電極が挿入され,いくつかの細胞の活動を観測できるようになっている.この動画では,その中の一つの細胞の活動電位を音に変換したサウンドが,迷路の中で走り回るラットの映像に重ねて再生されるようになっている.すると,ラットが迷路上のある場所の近くに来た時にだけ,「パ,パ,パラパラパラ」と,細胞が活発に活動していることを示す音が鳴る.つまり,(海馬のある領域の)この細胞は,空間上のある「場所」に反応して活動しているのだ.音声を別の細胞の音を切り替えると,今度は別の場所で反応する.そのまた隣りはまた別の場所…というふうになっていて,つまり,海馬の中には,外界のマップが形成されているかのようなのだ.
脳の研究者にとって,この動画は掛け値なしにショッキングで興味深い.なぜか?その理由を非専門家の人に説明するとしたら,まずは脳の中で各細胞がどのような情報を担っているのかについて私たちがどれだけ知らないか,を説明する必要があると思う.もちろん,神経細胞にはどんな種類があるかとか,どんな活動をするかとか,どんな遺伝子を発現しているかということについての知識は,ものすごい勢いで増えている.ところが,僕らが一番知りたいこと,つまり,「その神経細胞が,知能(記憶や行動)にどう役に立っているのか」については,ほとんど分かっていない.かろうじて,脳と外界の接点に近い感覚や運動に関係した細胞については,細胞の活動とそれが表現しているであろう情報との間に,かなり明確な関係がつけられている(視覚系でいえば「水平の直線に特異的に反応する細胞」,運動野でいえば「手の筋肉を動かす細胞」が知られている)が,そうした一部の脳部位の細胞を除いて,その細胞の活動が「何を意味しているのか」は,今のところほぼブラックボックスなのだ.
しかし,「場所細胞」が表現しているかのように見えるのは,「空間内の自分の場所」という,一次的な感覚からかなり距離のある概念.そんな細胞が海馬で見つかったことは,画期的だったのだ.…といえば,少しは伝わるだろうか?
場所細胞については,ここ数十年の間,いくつものグループで研究が続けられている.ネズミに限らず,蝙蝠や霊長類にもあることが分かっていて,面白い性質がいくつも見つかっている.場所細胞は,ネズミが歩いているとき以外も,たとえば寝ているときにも活動していて,それは実は歩行のシミュレーションをしているという説がある.また,空間だけでなく,時間をコードしている時間細胞(time cell)としての性質を示す実験結果もある.電気生理学的な現象としては,場所細胞の活動電位のタイミングと,海馬内の脳波(θ波)と興味深い関係性もある(これについてはBuzsaki教授らが勢力的に研究してきた).しかし,場所細胞は,まだまだ謎に包まれたままの部分が多い.何が場所細胞を活動させるのか?本当に場所を「表現」しているのか,場所細胞の発火自体は表層にすぎないのか?場所細胞の解釈は,まだまだ定まっていないのが現状だと思う.
(個人的には,この場所細胞の研究は,神経科学の中でも,最もエキサイティングな分野の一つだと思っている.なぜなら,すべての認知の土台となる「空間」や「時間」が,細胞レベルでどのように処理されているのかを明らかにする可能性をもっているからだ.伝統的に「空間」「時間」を扱ってきた,哲学や心理学などへ重要な(ボトムアップな)示唆を与えることになるんじゃないかという妄想.)
前置きが長くなってしまったが,今回の講演について.
Buzsaki教授は,まず(例の実験動画は見せつつ)「場所細胞」の概要を説明し,そのうえで最近の研究成果とそこから導かれる考察について話した.いくつかメモしておくと
・θ波と発火タイミングの位相前進は,実は,グローバルなθ波より少しだけ周波数の高い周期的発火の重ね合わせにより説明できる.
・場所細胞は,決まった順序(sequence)で発火するが,そのsequenceを生成するメカニズムは抑制細胞であることが,薬理実験によって確証された.
・動物を大きな環境に入れると,一つの細胞が受け持つ空間領域は広がるが,発火のタイミングは変わらない.このことから,動物は,時間的表象は不変に保ったまま,空間的表象の方を伸び縮みさせているのだと考えられる.
・多電極測定で得られたLFPの波形を,独立成分分析(ICA)で分離すると,場所特異的に反応する独立成分が現れる.これは「場所細胞」と似ているが,このいわば「場所成分」の方が,場所に対する選択性がむしろ高い(この話は,個人的に面白かった.具体的にどのようにICAを掛けるのか,聞いてみたかった).
Buzsaki教授は,場所「細胞」の活動よりも,その細胞に入ってくるシナプス入力の方が本質的だと考えていて("spikes are only the tips of the iceberg"とのこと),それを反映した測定としては,むしろLFP測定の方が良いのだ,という立場をとっているようだ.しかし,LFPはあくまでも測定の方便だ考えている点で,細胞外電場が積極的な機能を持っているとするKochや宮川先生とは少し違う考え方のように思えた.
まあ,私は研究者ではないので,そういう細かい話を勉強してもどうなるということでもない.でも,こういう研究の積み重ねの先に,一般の人にも分かる,空間や時間の認知についてのあっと驚く発見があるような予感がある.なので,引き続き注目していきたいと思う.
…Buzsaki教授は,案外,普通のおじさんという感じで,親しみやすそうな方だった.
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