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08.09
Fri
「斎藤環と茂木健一郎の往復書簡」を読んでみた.
(書籍としても出版されていますが,双風舎という出版社のサイトで読めます.→「斎藤環と茂木健一郎の往復書簡」

この往復書簡が完結した2010年は,ちょうど茂木さんが脳科学者として大ブレークしていた頃.科学的な立場で「クオリア」の研究をすると標榜する茂木さんに対し,サブカルチャーの批評などでも有名な精神科医の斎藤氏が「ちょっとまって」と議論を挑む.

「ひとの心」という同じものについて語りながら,両者の見方・立場が180度違っていて,大変面白かった.
茂木さんの立場は,言葉に出来無い「生の経験」として「クオリア」は確かに存在し,それは神経活動によって引き起こされるはずだ,というもの.それに対し,斎藤氏は,「クオリア」は幻想であり「こころは言語が生み出す」という立場を取る.一見,茂木さんの言っていることの方が分かりやすく,実感にあっているように思える.

一方で斎藤氏が(一見分かりにくい見方を提示することで)茂木さんに苦言を呈したくなった理由も,なんとなくだが分かるような気がする.クオリアの存在を自明視して突き進むやり方には,どこかに抜け落ちた部分があるのではないか.(例えば,茂木さんと斎藤環氏のどちらが「人のこころ」について深く理解しているか,と考えてみる.茂木さんはもちろん圧倒的にいろんなことを知っているし,知っているだけじゃなくて経験も豊富だし,実際に会ったら感化されることは間違いない.けれど,一方の斎藤氏の方が,(もちろん臨床医であることも大きいと思うけれど)人間に対する理解が深そうな「感じ」がする.本当に上手くいえないのだけれど,この「差」に,脳科学的なアプローチが不可能な,心の一面があるのではないだろうかと思える.)

「やりとりをつうじて私が問いをぶつけていた相手は、ひとり茂木さんばかりではありません。やみくもに生物学主義を奉る精神科医であったり、あまりに還元主義的な脳科学者であったり、無意味なほど楽観的な決定論者たちであったりと、さまざまな「仮想敵」を茂木さんの背後に見ていました。」(『第5信 チューリングマシンの精神分析」斎藤環から茂木健一郎への手紙』より)

斎藤氏が「仮想的」としているのは,物理法則や,進化の法則,遺伝の法則からスタートする方法が万能である保障はないのに,それらを第一原理として突き進む人達だ.茂木さんも,科学者の多くとは違う出発点に立っている(統計に基づいた科学ではなく「偶有性の科学」を表明しているので)とはいえ,「クオリア」を第一原理においている点ではその仲間に入る.斎藤氏は,見た物をそのまま信じ,出発点にしてしまうような仕方は「天動説」と同じなのではないかという.なるほど,するどい.

議論は微妙にかみ合っていないし,論点とは全然関係ないような文章が続いているような部分もある.しかし,今後「意識の脳科学」がメジャーになっていく中で,この斎藤環vs茂木健一郎のバトルは,普遍的とみなされるような論点を含んでいるんじゃないかという予感がある.
意識の問題への脳科学的アプローチに興味がある人は,是非読んでみて欲しいです.

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その後,斎藤環さんの『生き延びるためのラカン』を読んだ.人の「欲望」を読み解くラカンの見方は,今まで見知ってきた学問とはかけ離れていて驚いた(「すごく分かりやすかったけど,ラカンの考えはまったく理解出来ない,というか受け付けられない」という中島義隆さんによる解説に親近感を覚えた).
切れ味はするどく,役に立つのだろう.けれど,やすやすとは使えない道具だと思った.
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