![]() | Your Brain on Porn: Internet Pornography and the Emerging Science of Addiction (2015/02/12) Gary Wilson |
インターネット・ポルノグラフィが脳に与える悪影響についての本.著者のウィルソン氏は,もともとは“teacher of anatomy and physiology”(高校か大学の先生?)だったが,今はもっぱらこのテーマに関する啓蒙活動をしている人のようだ.
この本の主張するところによると,ネット依存症の一種としてのネットポルノへの「中毒」(addiction)は現実にある.人間が本能的が求める刺激を,自然界にあるもの以上に増幅したものを「超正常刺激」(supernormal stimulus)という(「ジャンクフード」などが代表例)が,ネットポルノもその一種とみなせる.ネットポルノは,従来のポルノグラフィと違って,新規性の高刺激を高速・無制限に脳に供給することができ,それによって脳の報酬回路を強く刺激する.結果,本来の性的アイデンティティとは異なる偽の性的嗜好が生じたり,性機能の不全,さらには意欲減退などの症状が出たりするという.近年,若い男性の間で性機能不全の増加しており,著者の見解によれば,ここ10~15年で広まったネットポルノにその原因がある.一方,脳へのこうした変化は可逆的であり,ネットポルノから離れることによって正常な状態に戻っていくいう.
センシティブな話題ということもあり,科学的証拠は多くない.本書では,脳科学における研究例が2件挙げられている(両方とも著者の主張に沿う結果が出ている)が,現状はその2件しかないらしい.その代わりに,ネット上のフォーラム(著者とその奥さんが立ち上げたもの)に寄せられた,当事者たちの報告を数多く挙げている.多くのネットポルノを断った人々が,性交渉の能力を取り戻したことや日常的な記憶力やコミュニケーションの能力が回復したことなどを報告しているらしく,その証言がこの本の大部分を占めている.
経験談が主な証拠になっていることからも想像できる通り,まだはっきりしていない部分も多い.実際,ネットポルノ自体は無害だということをいう人もいるらしい.著者は,状況はタバコの規制が辿った歴史と同じだという.はじめは科学的根拠の少なく,業界の権益もあって問題の認知が遅れる.しかし,草の根から声が挙がり,やがて科学的な調査が追いつき規制などの対策が取られる.そのような歴史を,ネットポルノもなぞるのではないかと著者は言う.どういう結果になるにせよ,研究は進んでいくのだと思う.
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02.22
Sun
![]() | 自己組織化-自然界の法則に学ぶ未来のエンジニアリング- (2015/02/25) ジョン・A・ペレスコ 著 鈴木宏明 訳 |
編集を担当した本の宣伝です. (2015年2月25日発売予定!)
「自己組織化」(self assembly)は,材料が混ざるだけで勝手に構造ができあがる現象のことです.新しいものづくりの原理としても注目されています.
(※「自己組織化」に対応する英語としては,抽象的な組織化も含む“self-organization”もあります.本書の自己組織化は物理的な「もの」が出来るというニュアンスの強い“self assembly”です.もっとも,著者によれば両者にそれほど明確な区別はないとのことなのですが.)
自然界で構造ができる現象のほとんどは「自己組織化」だと言えるため,トピックとしてはほぼすべての理工系の分野に関係します.本書でも,水面に浮かぶ泡のつくる模様,石けん膜の形成,タンパク質の折りたたみ,ウイルスの構造形成などなど,自然界にみられる自己組織化の例が数多くあげられています.
本書のタイトルである「自己組織化」は,いたるところにあります.広い意味では,人間がつくった「人工物」以外のものはすべて自己組織化でできたということもできます(本書では,もっと絞った定義が与えられていますが).私たち自身も,受精卵という非常にシンプルにみえる小さなものから,自己組織化によって形づくられたといえるでしょう. (訳者まえがきより)
しかし,ひとくちに自己組織化と言っても多様な現象ですので,すべてに共通するエッセンスを捉えるのはなかなか簡単ではないようです.生物学・物理学・化学・工学等々の分野で「自己組織化は大事だ!」と思われてきたものの,共同で研究するということはなく,分野ごとに独立に研究されてきたというのが実情のようです.
各分野における自己組織化についての専門書や科学啓蒙書は多くありますが,「自己組織化」を分野横断的に扱い,体系化を試みて,共通した考え方や理論的枠組みを解説するテキストブックはこれまでにありませんでした. (訳者まえがきより)
本書は,果敢にもそのようなテキストブックを目指した一冊です.幅広い自己組織化現象を敢えて同一のものと捉えて,「あらゆる(ではなくとも多くの)自己組織化現象に共通するエッセンスとはなにか?」に答えようとしています.雪のきれいな結晶構造は,誰かデザイナーがいるわけではないのに,どうしてあのような秩序だった形になるのか? いったい,どこにデザインの源泉が潜んでいるのか? 本書では,自己組織化に共通する要素をいくつか抽出していきます.すぐに思いつくように,粒子の「形」と粒子間の「相互作用」は重要です.それ以外にも,系の境界条件,駆動力,環境など,自己組織化の主要ファクターをあげています.個別の自己組織化現象が,そうしたファクターを通して説明できることを見ていきます.
また,本書の後半部は自己組織化の工学応用について書かれています.
今後,自己組織化が工学の分野にもますます利用されるようになると考えられます.私たちの身の回りの工業製品は,人間の手やロボットによって部品を一つ一つ正確・精密に配置してつくられています.しかし,自己組織化の原理を応用して,部品を容器に入れてシャカシャカと振るだけでひとりでに複雑な形や機能をもったものが組み上がる,といったことが可能だったとしたらどうでしょうか? (訳者まえがきより)
自己組織化する工学系を設計するための研究が,本書ではたくさん紹介されます.私が面白いと思ったのは,初期の自己組織化工学の実験には,意外なほどシンプルなものが多いということでした.たとえば,「お皿に磁石を入れて振ってみる」など,「遊んでいるだけじゃないか(笑?)」というような実験が,れっきとした研究としてなされているのです.けれども,そんな実験が,やがて高度な自己組織化工学に結びついていきます.本書でも,初期のモデル実験と同じ原理を使って,実際にナノワイヤやナノトランジスタの作製に成功した事例が紹介されています.
自己組織化の研究の数理的な側面にも焦点を当てられます.現象を抽象化した数理モデルを使って,目標物が得られるかどうか,あるいはどれだけ「歩留まり良く」それが得られるのかの解析ができること.また,自己組織化工学の原料として「スター級」と言ってもいい地位にある「DNA分子」には1章分が割かれ,DNAを使うとチューリングマシンと同じ計算能力をもつコンピュータが作れるということなども紹介されています.
最初に訳者の鈴木宏明先生から翻訳の話をいただき,原書を読む機会を得たのですが,一読して「面白い!」と思いました.翻訳原稿も発行までに10回ほど通読しましたが,読むたびに新しい発見があるような本でした.もちろん,発展途上の分野ですので,本書で自己組織化のすべてが分かるというわけではありません.が,自己組織化に少しでも興味のある方は読んで損はないのではないかと思います.やや値段が高い(社内交渉力のなさがなく,もう少し安くできなかったのは無念…!)ので「買ってください」とはあまり強く言えないのですが,書店などで見つけた際にはぜひ手にとっていただけると幸いです.
02.19
Thu
![]() | Tales from Both Sides of the Brain (Enhanced Edition): A Life in Neuroscience (2015/02/24) Michael S. Gazzaniga |
今日の神経科学を代表する研究者の一人であるマイケル・ガザニガが,自身の研究人生を振り返る回顧録.
ガザニガさんが行ってきた分離脳研究の話題を中心に書かれている.分離能というのは,右脳と左脳が切り離された状態の脳のこと.てんかんの発作を抑えるために両脳をつなぐ脳梁を切断するという治療がある.(驚くことに)治療後も支障なく生活できるのだが,この分離された右脳と左脳は,別々に考えているのかということが大問題となる.実際,右脳の情報は左脳に共有されていない(逆も然り)らしいということを,ガザにガさんらの実験は明らかにしていく.また,右脳と左脳では得意とする機能が違うということや,右脳と左脳が別々に認識・判断しているにもかかわらず患者本人はそのことに違和感を覚えていないことなど,人間の脳の動作や意識の成り立ちについて分離脳の研究はものすごく大きな示唆を与えてくれる.本書では,著者らがそうした疑問をひとつひとつ解決していった経緯が,時系列で描かれる.
本書のもう一つの見所は,著者の研究者コミュニティの中での交友関係について知ることが出来る点だった.ガザニガさんの最初の師匠,ロジャー・スペリーをはじめ,クリック,ミルナー,リゾラッティ,ルドゥーなどなど,神経科学関係で思いつくビッグネームたちは,皆なんらかの形でガザニガさんと関わっていたことが分かる.奥さんがジャーナルの編集長をしていたり,娘たちも科学者になっていたりと,華麗なる科学者一家ぶりにも驚いた.また,分離脳の実験の様子をWebで公開しているのだが,それを見ると患者たち(J.W. などとイニシャルで言及される人々)と親しげに話したりしているのが印象的だった.そうした人間的魅力も,科学分野を新しく作り出すような研究者に必要な資質なのだろうと思わされた.
著者によると,シンプルな実験で分かる事実(“low hanging fruits”)はほぼ摘まれてしまったものの,分離脳研究が脳について明らかにしたのはまだまだほんのわずかだとのこと.これからは,単純なパラダイム(右脳はこれ,左脳はこれというような考え方)を乗り越えて,制御とかシステム論的な見方を採用していく必要があるだろうというようなことを言っている.(研究暦30年の大御所がそういうことを言ってくれると重みがあるし,ワクワクする.)
脳研究の歴史の,教科書・科学書には書かれていない一面を教えてくれる一冊.脳研究に少しでも興味がある人にはおすすめです.
02.04
Wed
![]() | The Information: A History, a Theory, a Flood (2012/03/01) James Gleick |
邦訳:
これぞポピュラーサイエンスの力作という感じの大著.情報理論を拓いたクロード・シャノンをはじめとして,数多くの数学者・計算機科学者・生物学者・物理学者を紹介しながら,人類が情報概念をいかにつくり,育て,その影響を受けてきたのかを描いている.
今では,情報は多くの分野で最重要といってもよいような基本的な概念とされる.なにも「情報科学」(あるいは「IT」「コンピュータ科学」でもいい)などにとどまらず,情報概念は生物学や物理学等の伝統ある学問のなかでも,かなり中心的な役割を果たしている.この本では,生物の本質をDNAの運ぶ情報であるとしたリチャード・ドーキンスや,“It from bit”という言葉に象徴されるように情報論的な物理学を展開したジョン・ホィーラーを紹介している.本書を読むと,情報概念の応用範囲の及ぶ広さに驚く.
でも,この本の一番の面白さは,情報概念がどう登場したかの歴史を描いている部分にあると思う.忘れがちだが,情報という考え方は,実はそんなに古くない.情報を工学の対象にできるほどにしっかりとした定義が登場したのは,ほんの60年前のことだった.ラルフ・ハートレーやクロード・シャノンなど,当時ベル研究所にいた研究者がその立役者だった.
シャノンたちがいかに「情報量」概念に辿り着いたのかを,本書では以下のように説明している.本書の第1章は,アフリカの「太鼓」の話から始まる.アフリカには,太鼓のリズムで意味を伝える「トーキングドラム」という文化があったのだそうだ.続く章では,時代は一気に下って,話題は産業革命後のフランスで発明された電信(telegraph)におよぶ.アフリカの太鼓とフランスの電信では,まったく違う仕組みではあるけれど,メッセージをなにかに載せて届けているという意味では共通している.つまり,違う「言語」(符号)を使って同じ内容を伝達できる.電信や電話の技術が進歩してくると,「どの符号を使うと一番多くのことを伝えられるか?」という工学的問題が次第に浮上してくる.ベル研究所のラルフ・ハートレーらが,情報を意味内容に関係なく定量化した「情報量」概念に行き着いたのは,そんな問題意識からだった.たとえば,はじめから信号の種類が2個しか無いことが分かっているのと,100個あるのとでは,一つの信号単位から受け取られる情報が違う.ハートレーが導いた定義では,情報量は記号種数の対数に比例する.こうして,情報量の単位“bit”が誕生した.シャノンは,さらに,記号列のなかにある冗長性に着目した.たとえば,ある記号列のうち出やすいものと出にくいものがある(たとえば英文の“q”のあとには高い確率で“u”になるなど)と,「情報量」は減るはずである.シャノンは,1948年の論文“A Mathematical Theory of Communication”で「情報量=エントロピー(不確実さ)」という定義を打ち出した.シャノンが作った情報理論は,さまざまな方面へ波及した.心理学では心の働きを情報の観点で記述する“informational turn”と呼ばれる転換が起こったし,物理学では,熱力学の「マクスウェルの魔のパラドックス」を解く鍵が「情報量」にあることが明らかになった.
こうして情報の科学が花開いていくわけだけど,それで僕らは「情報」を十分に理解したことになるのか? そうではないと著者は言う.シャノンが捨てた“意味”をどうするかという問題は残されている,と.
たとえば,(個人的な関心にひきつけて言えば)「本」.ある本に含まれる「シャノンの意味での」情報量を多くするには,各ページに掲載する内容を全くランダムにすればいい.そうすると,読者がページ毎に得られる「サプライズ」は最大化されるのだから.しかし,そんな本が意味が無いことは明らかだ.どうすればある本に含まれる情報が,「読者に有用」だという意味で最大化されるのか,などという問題には,情報理論の枠組みでは答えようもない.(「情報は情報『量』だけでは捉えられない」といってもいいのかもしれない.)無機質な情報概念を乗り越え,情報の「意味」や「価値」を扱うにはどうすればいいのか? 情報の洪水(flood)の時代を生きる僕らにとって,情報のbitで捉えきれない要素をどう理解するかは重要になってくるはすだ.この本では未解決問題として残されているが,本書で触れられていたIBMのCharles Bennettという人の研究はヒントになりそうな気がした.
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数学や言語学,複雑系科学など,いろんな話が詰め込まれていて,必ずしも「情報」だけ焦点が絞られていなかったのがややもどかしい気もした.だが,情報量という一つの概念が,歴史上の具体的な工学的関心から登場し,それ以前の人間の暮らしや学問の捉え方までをも飲み込んでしまうというのが凄まじく,こういう本を読んでこそ理解できることだと思った.