11.29
Sat
From Ought to Is : Physics and the Naturalistic Fallacy
Matthew Stanley, Isis, 2014, 105:588-595
18・19世紀には,物理学や天文学が,政治的・社会的な主張の正当化に使われた.しかし,20世紀に入ると,その役割を生命科学などが担うようになる.20世紀後半の物理学においては,むしろ「自然主義の誤謬」は従来のものとは反転した形で現れた.「自然主義の誤謬」とは,「である(is)」という事実の記述を根拠に「すべきだ(ought)」という道徳的な命題を導く.それとは逆に,「すべき(であるべき)」だから「である」という論法が登場したのである.それは,「人間原理」と呼ばれる学説においてである.
「人間原理(anthropic principle)」は,宇宙を成り立たせる物理法則が,人間をはじめとする生物の誕生に好都合なものに微調整(fine tune)されているようにみえるのはなぜかという謎に応えるために提唱された学説である.弱い人間原理(WAP)とは,「人間が存在するからには,宇宙はこれこれの性質をもっているはずである」という,記述的な主張である.一方,ジョン・バローとフランク・ティプラーらによって提唱された「強い人間原理(SAP)」は,宇宙はなぜかくあるかを説明するところまで踏み込んで,「宇宙は人間をつくることを目的(purpose)とする.だからこのような宇宙はこのように存在する」と主張する.
強い人間原理は,一見「自然主義的誤謬」の格好の題材のように思える.「宇宙は人間を生みだすためにあり,○○という行動は宇宙の目的に反する(合致する)」などと言えそうに思えるからだ.実際,18世紀には,ニュートン力学がそのように利用されたことがあった(デサグリエによる君主制の正当化など).他にも,J.P.ニコルが星雲説(Nebular Hypothesis:星間物質が集まって惑星や恒星ができるとする説)を政治・経済への援用した事例や,ケルビン卿が熱力学第2法則を根拠に人類の進むべき方向を結論付たというような事例もある.
しかし,強い人間原理の提唱者たちはこのような道をとらない.その代わりにみられるのは,反転された形での誤謬である.バローらの議論によれば,知的生物種は必然的に星間航行(intersteller travel)を実現する(そして,「フォンノイマン探査機」をつくり,10億年足らずでこの銀河をくまなく植民地化する).人類がそのような技術を開発「すべき」なのではなく,有無を言わさず「そうなる」のだ.なぜなら宇宙はそのような存在をつくるために存在するから.
***
昨今では,物理学が人々の行動の指針を与えるような事例は,生物学などと比べて少なくなっている.これは,物理学者がそのような主張をするのをやめたからではない.ではなぜか.一つには,神経科学や霊長類学など,他の学問を経由するようになっていることがある.今では,物理学は私たちの日常と直接には結びつかず,生物学や社会科学を経由するのが普通になっている.また,宗教が経由されることもある.たとえば,「ビッグバンが起こったなら,神がいるはず.神がいるからには~」と言う風に.
だが,より深い理由として,物理学の基本的な部分で,自然主義的な推論の前提が成り立たないということがあるのかもしれない.人間原理の主張のように,もしすべてが決定論的に決まっているのなら,我々が「すべき」ことはない.自然法則の基本定数が我々の存在という「目的」のために微調整されていたという事実が示唆するのは,「我々には選ぶことができない」ということにほかならないからだ.
Matthew Stanley, Isis, 2014, 105:588-595
18・19世紀には,物理学や天文学が,政治的・社会的な主張の正当化に使われた.しかし,20世紀に入ると,その役割を生命科学などが担うようになる.20世紀後半の物理学においては,むしろ「自然主義の誤謬」は従来のものとは反転した形で現れた.「自然主義の誤謬」とは,「である(is)」という事実の記述を根拠に「すべきだ(ought)」という道徳的な命題を導く.それとは逆に,「すべき(であるべき)」だから「である」という論法が登場したのである.それは,「人間原理」と呼ばれる学説においてである.
「人間原理(anthropic principle)」は,宇宙を成り立たせる物理法則が,人間をはじめとする生物の誕生に好都合なものに微調整(fine tune)されているようにみえるのはなぜかという謎に応えるために提唱された学説である.弱い人間原理(WAP)とは,「人間が存在するからには,宇宙はこれこれの性質をもっているはずである」という,記述的な主張である.一方,ジョン・バローとフランク・ティプラーらによって提唱された「強い人間原理(SAP)」は,宇宙はなぜかくあるかを説明するところまで踏み込んで,「宇宙は人間をつくることを目的(purpose)とする.だからこのような宇宙はこのように存在する」と主張する.
強い人間原理は,一見「自然主義的誤謬」の格好の題材のように思える.「宇宙は人間を生みだすためにあり,○○という行動は宇宙の目的に反する(合致する)」などと言えそうに思えるからだ.実際,18世紀には,ニュートン力学がそのように利用されたことがあった(デサグリエによる君主制の正当化など).他にも,J.P.ニコルが星雲説(Nebular Hypothesis:星間物質が集まって惑星や恒星ができるとする説)を政治・経済への援用した事例や,ケルビン卿が熱力学第2法則を根拠に人類の進むべき方向を結論付たというような事例もある.
しかし,強い人間原理の提唱者たちはこのような道をとらない.その代わりにみられるのは,反転された形での誤謬である.バローらの議論によれば,知的生物種は必然的に星間航行(intersteller travel)を実現する(そして,「フォンノイマン探査機」をつくり,10億年足らずでこの銀河をくまなく植民地化する).人類がそのような技術を開発「すべき」なのではなく,有無を言わさず「そうなる」のだ.なぜなら宇宙はそのような存在をつくるために存在するから.
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昨今では,物理学が人々の行動の指針を与えるような事例は,生物学などと比べて少なくなっている.これは,物理学者がそのような主張をするのをやめたからではない.ではなぜか.一つには,神経科学や霊長類学など,他の学問を経由するようになっていることがある.今では,物理学は私たちの日常と直接には結びつかず,生物学や社会科学を経由するのが普通になっている.また,宗教が経由されることもある.たとえば,「ビッグバンが起こったなら,神がいるはず.神がいるからには~」と言う風に.
だが,より深い理由として,物理学の基本的な部分で,自然主義的な推論の前提が成り立たないということがあるのかもしれない.人間原理の主張のように,もしすべてが決定論的に決まっているのなら,我々が「すべき」ことはない.自然法則の基本定数が我々の存在という「目的」のために微調整されていたという事実が示唆するのは,「我々には選ぶことができない」ということにほかならないからだ.
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![]() | 体の知性を取り戻す 講談社現代新書 (2014/09/26) 尹雄大 |
若手のライターである著者が,「体の動かし方」について考えてきたことを綴った本.著者は,武道を通して体についての考えを深めてきたそうだが,武道をやっていない・やるつもりもない人にも役立つ(身につまされる)内容だった.私も,「体をおろそかにしている」という感覚はずっとあった(思うように体が動かない・ぎこちない動作しかできない・姿勢が悪いと言われる,など.ストレッチをしたり,筋トレをしたり,整体にいってみたりしているが,なかなか改善しない).ぎこちない体が出来上がってしまう背景には,小さいときからの教育とか,社会的な圧力があるという.そういう風には考えたことがなかったので,なるほどと思った.あと,この本を読んでから,駅で電車を待っているときに周りの人を観察して,「あの人は体がこわばっているな」とか「あの人はいい感じに力が抜けているな」とか思うようになった.
![]() | 自分の頭と身体で考える (PHP文庫) (2002/02) 養老 孟司、甲野 善紀 他 |
養老孟司氏と甲野善紀氏の対談録.二人とも,普通の人とは違ったふうに世の中を見ている人で,それだけに呼吸が合っていた.古武術の研究している甲野氏は,常識では考えられないような動きができるそうなのだが,少しでも科学を知っていると思っている人の多くは,甲野氏の話を聞いて「そんなのは科学的に有り得ない」と言ったりするらしい.ところが,科学を誰よりも知っているはずの養老先生は,甲野氏の言っていることを普通の科学者よりずっと柔軟に受け止めている(「筋収縮のメカニズムは僕にはさっぱり分からない」とかいっている).……「無知の知」という言葉が思い浮かんだ.
![]() | 動きが心をつくる 身体心理学への招待 講談社現代新書 (2012/09/28) 春木豊 |
(勝手に)身体シリーズの三冊目.心と体は一つのものだというのは,ある意味あたりまえだけど忘れがちなことだが,それを「身体心理学」という学問の立場から解説している.心と身体のつながりが一番強く現れるのは,「考えなくても身体が勝手する動き」と「完全に意識的な動き」のちょうど狭間にあるような動きだという.たとえば,呼吸・歩行・姿勢・対人距離・筋緊張など.呼吸法,歩き方など心を整えるためエクササイズの解説もあった.
![]() | 億男 (2014/10/15) 川村元気 |
「王様のブランチ」で紹介されているのをみて購入.宝くじに当たった主人公が,そのお金が自分をどう変えてしまうかについて悩むというストーリーだが,宝くじに当たらなくても,貯金が少し貯まり始めた20代後半の人には結構リアルに感じられる部分があるように思った.
![]() | クラウドからAIへ (2013/07/18) 小林 雅一 |
なぜ今,「人工知能」ブームなのか.グーグルやフェイスブックは何がしたいのか.1950年ころからの人工知能研究の流れ(盛り上がりと廃れ)も振り返りながら,ものすごく明快に説明している.ここ1,2年で見聞きしていたことが,この本を読んで一つの絵に収まるような感覚が得られた.
やっぱり,歴史を知ることは大事だと痛感した.たとえば,「第2次人工知能ブーム」の頃に,エキスパートシステムを扱う専門家として「ナレッジ・エンジニア」という職種がもてはやされたということがこの本に出てくる.そんなことは全然知らなかった.ところで,「ナレッジ・エンジニア」はエキスパートシステムの衰退とともに消滅したとのこと.いまの「データサイエンティスト」の今後を連想してしまったのだけど,どうなんだろう...
![]() | アカマイ―知られざるインターネットの巨人 (角川EPUB選書) (2014/08) 小川 晃通 |
アカマイ(Akamai)という,インターネットのインフラを担う一企業に焦点を当て,その成り立ちやサービス内容を解説することを通してインターネットの仕組みを解説するという本.とても分かりやすかった.なんというか,すごく眼のつけどころが素晴らしい本だと思った.最近,ドワンゴ=角川が出している情報技術についての出版物は要チェックだ.
アカマイを創業したレイトンという人は,もともとMITの応用数学の教授で,自身が考えたアルゴリズムがインターネットのトラフィックを効率化できることに気づいて,1996年に起業したらしい.1人の学者のアイディアから,こんな短期間にインターネットのインフラを支える大企業が出来上がったとは驚きだ.
![]() | 本は死なない Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」 (2014/06/20) ジェイソン・マーコスキー |
AmazonでKindleを開発した著者が「本の未来」について書いた本.実は原題は"Burning the page"で,著者のスタンスも「今後は紙の本は無くなっていくだろう」というものだった(邦題が逆の意味になっているのは,講談社の意向か.ただ,電子書籍として本は「生き残る」という主張なので,ある意味では間違ってない).しかし驚いたのは,このマーコスキーという人,ものすごく本好きな人だということ.システム開発の専門家であるだけでなく,小説を書いていたこともあるような人らしい.電子書籍の開発にも,ものすごく読書体験の質に気を使っていることが伝わってきた.
この本を読んだあと,早速Kindle端末を購入した.
![]() | 理不尽な進化 :遺伝子と運のあいだ (2014/10/25) 吉川 浩満 |
この本のすごいところを自分なりに一言でいうと,「なぜ文系と理系の学問があるのか,に答えが与えられているということ」.今後,重要な本になりそう.また改めて感想を書いてみたい.