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08.17
Sun

〈生命〉とは何だろうか――表現する生物学、思考する芸術 (講談社現代新書)〈生命〉とは何だろうか――表現する生物学、思考する芸術 (講談社現代新書)
(2013/02/15)
岩崎 秀雄



想像を超えて面白かった.

本の前半は,「合成生物学」についての分かりやすい紹介.「生命(細胞)をつくる」という目的に対して,生命科学ではなにができているのか,一線の研究者がどんなことを考えているのか.生命科学の「今」を説明するために,著者が「科学史」から多くのヒントを得ていることが印象的だった.

後半は「芸術と科学の分かちがたさ」を説明することにページが割かれている.生物学の研究のほかにアート活動も行っている著者は,「自然を記述することは,美学的な課題だ」と言い切る.生命科学の歴史をよく見てみると,それは「生命現象をより物理的に,機械的に捉える」という単線的なものではなく,たとえば「計算」や「情報」の概念は,ある意味,「生気論」的な説明方式への回帰だともいえる.また,生命はその時代の人工物のメタファーを通して理解されようとしてきたことからもわかるように,自然科学にも科学者やその時代を生きる人々の側の主観が多く反映されており,その点で,自然科学は美学に似ている.(著者は「芸術のなかに埋め込まれたかたちで自然科学をしたい」とまで書いている.)サイエンスとアートの二束のわらじを履いている人は多いけれど,そうすることに必然性がある(単に「マルチタレントでかっこいい」だけじゃない!)ということがはじめて腑に落ちたような気がする.




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08.10
Sun

先月訪れたバルセロナでは,町のいたるところでガウディという人の存在を感じることができた.サグラダ・ファミリア,カサ・ミラをはじめとする作品群が圧倒的な存在感をもっているだけでなく,ガウディに関する展示物や解説があちこちにある.町を歩けば歩くほど,ガウディについて少しずつ詳しくなる仕掛けになっているかのようだった.

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彼がいかに貝殻とか木などの自然物のかたちに興味を持ち,それを建築に取り入れていったか.彼がいつ何を語ったか.こういう知識が増えていくわけだが,しかし,こうして得た知識は「本当のガウディ」を知るのにどれくらい役に立つのだろうか.半ば「伝説」としてガウディ像には,増幅される部分,あるいは見落とされる部分はないか.かといって,ガウディの同時代人なら,彼の真価を知っていたと言えるのか.もし仮に,彼に長く連れ添った人がいたとして(実際には生涯独身だったらしいが),その人はガウディのすべてを理解できただろうか.

***

1人の人物について本当に知るとはどういうことなのだろうか?
死んでしまった人には,本人への取材はできない.だったら,ある人が生きている間に,そのような視点で調べてみたらどうなるか.できれば,生前にしてすでに「伝説」となっている人がよい.それをやってしまったのがこの本『ホーキングInc.』だった.「格好の研究対象」として選ばれたのが,物理学者のスティーブン・ホーキング博士である.科学者を対象にしていることで,「人を知るとは?」という(人類学的な)問題意識に加えて,「科学はどう営まれるのか?」という(科学哲学的な)興味にも答える本になっている.


ホーキングInc.ホーキングInc.
(2014/05)
エレーヌ ミアレ

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ホーキングをとりまくアシスタント・学生・メディアなどの人々への取材や,(身体中のほとんどの筋肉を動かすことのできない)ホーキング博士がコミュニケーションのために使っているコンピュータやスピーカなどの機械の動作の詳しい記述から,機械や人たちがいかに彼の業績やアイデンティティを支えているかが明らかにされる.ホーキングの身体だけでなく,機械や学生などを含めたとしてネットワークが,「ホーキング」を生み出しているというのが著者の立場だった.(一例を挙げると,研究のための「計算」はすべて学生が行い,ホーキングは彼らの発表を聞き,うなずいたり簡単な指示を出したりするだけなのだそうだ.言われてみればそうするしかないのだろうけれど,ホーキング自身は「計算をしていない」というのはちょっと意外に思ってしまった.)

本書を読んであと,ふと,ホーキング博士が亡くなったあとはどうなるのだろうか,と考えてみたくなった.たぶん,大学の博物館に所蔵されたアーカイヴや,彼の残した多くの講演ビデオや著作物が残るだろう(現時点でアーカイヴをつくっている人々も本書で詳しく取材されている).予想されるのは,そこではおそらく「本人の身体と機械そして学生etcからなるネットワーク」が成したものが,すべてホーキング個人に帰されてしまうだろうこと.もうひとついえるのは,本人について示すものの多くは,すでに彼自身や周囲の人によって「編集・演出」されたものだろうと言うことだ.ホーキングについて語られるエピソードの多く,――たとえば「ガリレオの死後300年目の日に生まれた」など――が,ホーキング本人によって好んで繰り返し使われたというものだったということ.そうして,死後のイメージが彼自身によってもつくられていく(!).バルセロナの町で何度も聞いた,「ガウディは車に轢かれてなくなった.そのときそれがガウディだと気づく人は誰もいなかった」という一節のようになっていくのかもしれない.

研究対象にされてしまったホーキング博士自身にとっては「たまったもんじゃない」のかもしれないけれど,そういう失礼もいとわず突き進んだ著者の研究者魂が凄い.人を見る目を変えてくれる,貴重な研究だと思った.
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