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12.31
Tue
Year 2013 is coming to an end.
The last day of the year is ever so similar to the previous ones.
(All these preparations for the new year, TV programs, etc.)
The sense of repetition makes me think about time.
I have live for 26 years, which is more than quarter of a century and (most likely) quarter of my lifetime.
I cannot help being anxious at the thought of losing time.
The time is limited. So what do I expect from rest of my life?

I've always wanted to be smarter.
That will continue to be my aspiration.
As long as the basic needs are met (when I'm not too hungry or too lonely), the atmost objective of my life will be to know better.
That is, to know what this world is about, and to know what living is about.

I used to say, 'I want to closer to the truth'.
Now that I'm less naive, I'm not sure if there exists a single, objective and universal truth.
Maybe there is no such thing.
Even so, there has to be so much more to know, and much ignorance I can grow out of.
That is my conviction; that there still are surprises.
Where are those surprises likely to come from?
My hunch is that the largest secrets about the world is hidden in the act of "observing the world" itself.
When I know better about the brain, language, mathematics, etc., I may gain a novel perspective.

But this year, I have arrived at an another hunch, that knowing may not be separable from communicating.
At this moment I cannot elaborate this further. This will be for the coming new year.


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12.30
Mon

素粒子論はなぜわかりにくいのか (知の扉)素粒子論はなぜわかりにくいのか (知の扉)
(2013/12/05)
吉田 伸夫




場の量子論を「本当に理解させる」ことを目指した、素粒子論の入門書。

素粒子の理論は、
古典論➡︎量子論➡︎場の量子論
と二段階を経て進化してきた。
第一のパラダイムシフトについて語られることは多くても、量子論から場の量子論へのパラダイムシフトについては、物理学者以外で理解している人はほとんどいないのではないかと思う。
(私も、分かっていなかった。)
ところが、量子論から場の量子論への移行の方が、考え方の転換という意味ではよりドラスティックで、素粒子論を理解する上でも重要なのだ(というようなことが、この本を読むと分かる)。

「素粒子は、粒子であると同時に粒子である」
「力を媒介する粒子のキャッチボールによって相互作用する」
そのような単純化した説明は、素粒子論をいたずらに分かりにくくした、と著者は指摘する。

一方で、物理学科ではどう教わるかというと、「直観的にわかることは諦めて、式の上で理解しなさい」と言われる。
しかし、著書は、簡単なモデルを思い描けば、定性的なイメージをもつことは可能であるという立場をとる。
(なんと嬉しい!)本当に、なぜ誰もこういう風に教えてくれなかったの?と思う。

物理に馴染みのない人にはピンとこない内容かもしれない。
むしろ、物理学科の学生にとっての必読書になってもおかしくない本だ。


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12.30
Mon
Surfaces and Essences: Analogy as the Fuel and Fire of ThinkingSurfaces and Essences: Analogy as the Fuel and Fire of Thinking
(2013/04/23)
Douglas Hofstadter、Emmanuel Sander 他



ダグラス・ホフスタッターと言えば、有名な『ゲーデル・エッシャー・バッハ(GEB)』の著者。
GEBは、人工知能の分野に大きな影響を与えた怪作と言われるが、その後ホフスタッター自身が人工知能の表舞台に登場することは少なかった。
(その辺りの話は、ホフスタッターの人物像を紹介したこちらの記事に書いてあった。)

GEBの発行から35年の間、彼は何を考えてきたのか。

***

今回の本も、広い意味では引き続き「知能とはなにか」という問題を扱っている。
けれど、GEBを読んだ人にはおそらく意外なことに、この本には脳やコンピュータの話がでてこないばかりか、数学すら出てこない。

この本の中心となるテーゼは、「人間の思考はすべてアナロジーでできている」というものだ。
アナロジーといえば、会話や文章に添えられるスパイスのようなものだと思われがちだが、そうではない。
アナロジーこそ思考そのものなのだ。
それも、一日に何回かなどという頻度ではなく、僕らは、全ての瞬間でアナロジーを使っている。
子供が学校で身につける知識も、最先端の科学理論も、すべてアナロジーの賜物だ。
そうしたことが本書を通じて繰り返し例証される。

著者によれば、知性の本質とは
・アナロジーを使って階層構造をもつカテゴリーをつくり、
・新奇な経験に際して、アナロジーの力で既存のカテゴリーに超高速アクセスする
ことなのだという。

しかし、そんな風に本書の主張の枠組みだけを説明してみたところで、この本の価値は10分の1の伝わらない。
本書の魅力は、一つの主張(たとえば、「思い出すことはアナロジーを使うことである」など)に対して、10も20も繰り出される実例にあるからだ。(本当に、よくここまで集めるものだと思う。ホフスタッターにとっては、人生経験すべてが研究対象になっているかのようだ。ダニエル・デネットは彼のことを"practicing phenomenologist"と呼んだらしいが、ぴったりだ。)

ぴたっとはまるアナロジーを、瞬時に引っ張りだしてる能力をもって「知性」の定義とするホフスタッターだが、まさに自身がそのマスター・オブ・ジ・アートなのだ。
くどいまでの言葉遊びも健在。

だから、それらなしにこの本のあらすじだけを語るのは、タコの入っていないタコ焼き、あるいはサンドイッチのパンだけを食べるに等しいのである。(そして、そんな風にホフスタッターをまねしようと思っても、全然うまくいかないのである…)。

本書は、「人工知能研究の方向性を示す学術書」と見ることもできないことはないが、「知の巨人の頭の中を覗く本」と見た方が良さそうだ。アナロジーのコレクションは、どれも「言われてみればそうですよ!」というものばかりなのだが、ここまで集められると圧巻。そしてなぜか読んでいて気持ちいい。

***

なお、本書はフランス人の言語学者との共著で書かれているのだが、実はフランス語版が同時に出されている。フランス語版と英語版で一つの対をなし、完璧な対訳となっているとのことだ。
また、本の中では「翻訳とはなにか」ということが一つの話題になっている。
そのようなことからも、仏・英以外の翻訳を出すことのバーは相当に高いだろう。

ぜひ、だれか、日本語訳にチャレンジを!
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12.26
Thu
IMG_20131225_211337_461-1 (1)

この赤いリュックサックは,実は,もともとは父のものだった.

小学生の時分,父に連れられて初めて山登りに行った.
八ヶ岳の一泊二日のコース.
そのために父は私に青いリュックを買い,自分にはこの赤いリュックを買った.
容量は小さめで,値段もお手頃なものだが,当時の私には本格的な登山用リュックに見えた.

青いリュックは,その後何回も使わないうちに私の身体には合わなくなったので,
赤いリュックを父に借りて出かけたりするようになった.

このリュックを毎日使うようになったのは,大学生になってからだった.
筑波大学に入学し,実家を離れることになった私は,父から正式にこのリュックを譲り受けた(と認識している).
別に,このリュックを特段気に入っていたわけでもない.
新しいものを買うのはもったいないからあるものを使おうという,たぶんそれだけの理由だった.

大学生の私は,大体赤いリュックを背負って自転車に乗って,筑波の街を一人ふらふらしていたように思う.
講義室から図書館へ.図書館から自宅へ.自宅からバイト先へ.

毎日使っていると,流石にだんだん傷んでくる.
まずやられたのが内側の防水用の膜で,これは日焼けした皮膚のようにぼろぼろ剥がれてきて困った.(ただ,この脱皮は数ヶ月間で完了し,その後は防水機能を失った以外はとくに問題なく使えるようになった)

あと,筑波山には10回くらい登ったはずだ.例外なく赤のリュックをしょって.
そういえば,フィリピンの一人旅も,初めてのインドもこのリュックだった.

大学にもって行くのに必ずしも向いてはいなかった.
ベルトがあちこちからビロビロ伸びていて,扱いづらく.教室で講義を聴いているときに,リュックの置き場所に困ることもあった.(もっとも,後日,東工大で大学院の講義を受けていたときに,ある女の子がリュックを座席に背負わせるようにして掛けているのをみて,収まりよさそうだと思って真似をしてみたら具合がよく,それ以降この悩みはなくなった.)

他の学生が持っているような,もっとかっこいいバッグを持とうかと思ったことも一度ならずあった.
が,結局,いつもこのリュックに戻ってきてしまった.
ボロボロのダサいリュックの奴と思われるのも,そんなに嫌じゃなかったのかもしれない.

東京に戻ってきて,電車通学になってからも使い続けた.
自宅から東工大.東工大から電車とバスを乗り継いで,(共同研究をしていた)東京薬科大へ.
東京薬科大から溝の口のバイト先へ.

何のきっかけもなければ,一生,惰性で使い続けていたかもしれない.

しかし,ついこの前,
私が独身ではなくなった日に,
新しく妻になった人が私に黒いバックパックを買ってくれた.
それで,赤いリュックはとうとう役目を終えた.

私は決してものに執着するほうではなく,
むしろ,いらないと思えばすぐに捨てるたちなのに,
こと赤いリュックに関しては,
「次のゴミ収集日に袋につめて捨ててそれっきりおしまい」
となることを具体的に想像したときに,なぜかいたたまれなくなってしまった.
それで,26歳にもなって誠に恥ずかしいことではあるが,このようなもの書いてみた.

***

黒のバックパックにも,またどうか末永いお付き合いをお願いしたい.
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12.15
Sun
とある方にTwitter上で教えていただいた、講演のポッドキャスト。
http://publishing.brookes.ac.uk/podcasts/item/tales_from_publishing_michael_rodgers/

オックスフォード大学出版局などで編集者を務めたMichael Rogers氏。
リチャード・ドーキンスに、"the best editor I've ever known"と言わせた人らしい。

無名時代のドーキンスとの出会い、ピーター・アトキンスの教科書(いわずと知れたアトキンスの「物理化学」)を世に出すまでの苦労、タイトルとジャケットのデザインを決める際のエピソード等々、面白く役立ちそうな話が盛りだくさんだった。

とても印象的だったのが、次の言葉。

You can't invent enthusiasm for a book; you feel it. And if you have it, use it.
(一冊の本に対する情熱は、ただ感じるのであって、「情熱を持とう」と思って持てるものではありません。そして、情熱を感じることができたなら、それを最大限活かすべきです。)

Roger氏は、「利己的な遺伝子」の草稿を初めて読んだときにenthusiasmを感じて、いろんな人(ドーキンス自身や社内の人々)への説得に走りまわったらしい。

この"persuasion=説得"がトークの一つの大きなテーマになっていた。
なぜこの本は売れるのか、なぜこのタイトルが相応しいのか。それを人に説得することが、編集者の仕事のうちの大きな部分を占めるということなのだろう。

「ミーティング後は必ず自分用のメモを残し、その後に活かすべし」とのこと。
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12.13
Fri

考える脳・考えない脳―心と知識の哲学 (講談社現代新書)考える脳・考えない脳―心と知識の哲学 (講談社現代新書)
(2000/10)
信原 幸弘



哲学者による「心脳問題」の入門書。そんな本のつもりで気軽に読み始めた。
しかし、後に書くように、単なる入門書ではなかった。

ピアノの楽曲に対応する鍵盤の動きがあるように、心のはたらきに対応する脳の活動があるはずだと考えるのが、「表象主義」とよばれる考え方。その表象主義は、大きく「古典的計算主義」と「コネクショニズム」に分けられる。本書では、両者の立場を解説したうえで、脳と心の関係を説明する理論としては「コネクショニズム」の方にどうやら軍配が上がりそうだ、という。脳の部位ごとの違いに言及していないなど,神経科学的にみると単純化されている点はあるかもしれないが、分かりやすい解説だと思った。

ところが最終章では、これまで用意した「古典的計算主義」と「コネクショニズム」を組み合わせた、独自の説を展開。

著者の立場によれば、脳それ自体はコネクショニズム的な表象しかもたない。しかし、心自体は論理や計算を使いこなせることからもわかるとおり、「計算主義」の方がよく当てはありそうな場面も多い。そこで、計算主義的な思考は脳の中だけにあるものではなく脳+身体+環境の複合システムが担っていると考えてはどうか?つまり、私の脳は,それ自体では,膨大なニューラルネット(ただし,再帰的な)に過ぎない.そこでは、ある入力がどのような出力(あるいは内部状態の変遷)をもたらすかを決める、シナプスの重みが決まっているに過ぎない.しかし、人に話しかけたり、紙に書きつけたり、身体と外界の助けを得ることで、論理的思考が実現されているというのだ。

だから、ある意味で、「脳は考えていない」。

これは、『現れる存在』でAndy Clarkが述べていた考え方に近いのだと思うが、本書の方が論点が少ないぶん分かりやすく思った。「論理的な思考は,脳の中にはない」というのは、大きな発想の転換だ。この考え方は、もし妥当ならば、当然ながら人工知能研究にとって重大な意味をもつ。けれど、「どうすれば仕事がうまくいくか」などという自己啓発的な意味でも、重要な知恵になりうるような気がする。


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12.01
Sun

伊藤くん  A to E伊藤くん A to E
(2013/09/27)
柚木 麻子


最近,「王様のブランチ」で紹介されていた小説.
その他,同じ著者の小説をいくつか読んだ.どれも若い女性たちのこじれた自意識のようなものを描いており,「『桐嶋,部活やめたってよ』の女性版」といった感じ.男性キャラクターに対して容赦がなさ過ぎて,ひりひりする.…うん,読後感は「ひりひりする」がぴったりだ.



天地明察(上) (角川文庫)天地明察(上) (角川文庫)
(2012/05/18)
冲方 丁



うってかわって,さわやかな歴史小説.
江戸時代に,暦をつくるという大事業を成した渋川春海の物語.自分の知識でもって身を立て,時代に必要とされた主人公が眩しい.
解説の養老孟司先生も書いていたことだけど,現代ではdullなものとみなされががちな幾何学や代数の知識は,この時代にはとても特別なものとして認められていたのが分かる.数学が,皆が競い合う「術」だった時代.
春海が関孝和の数学書を読んで感銘を受けるシーンが印象的だった.史実として,渋川春海と関孝和の交友がどの程度のものだったのかは分かっていないそうだが,同時代人の書いた数学書に感動したというのは,きっと本当だろうと思う.




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