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11.27
Wed
I'm now on a business trip to Sapporo.
Today I spent the whole day at the University of Hokkaido.
When walking the campus, I overheard an English conversation.

Woman (supposedly Japanese): You know what? I have to tell you something.
Man (supposedly foreign): Sure. What is it?
Woman: When I'm speaking Japanese, I'm speaking in Kansai dialect.
Man: ...Wow!

I found that confession somehow nice and heartwarming.
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11.19
Tue

流れとかたち――万物のデザインを決める新たな物理法則流れとかたち――万物のデザインを決める新たな物理法則
(2013/08/22)
エイドリアン・ベジャン




原題は"Design in Nature"。
本屋で平積みになっているのは知りつつ、物理の普通の啓蒙書のように見えていたので手にとっていなかったが、先日、知り合いにすごく面白いと聞いてあわてて読んだ。

本書の主張は、自然界や人工物に共通に見られる構造(ツリー型の形態など)は偶然によってつくられるものではなく、著者がコンストラクタル則とよぶ法則に従って生み出されるのだというものだ。地形や気象といった自然界のパターンだけでなく、動物の身体のつくりや、人工物を含めた広い意味での進化をも、このコンストラクタル則で説明できることを、たくさんの例を示しながら説明している。(ただし、この本ではそれぞれの事例を「説明できた」と書いてあるだけで数式を見せてくれていないために、「なるほどそのとおり」と納得することはできなかったのが残念だった。)

ここまでだと、「自然界に存在するものの形には規則性があって、それは物理法則で説明できる」というよくある話のように聞こえるかもしれない。しかし、本書の主張が過激なのは、この「コンストラクタル法則」が、熱力学の第一、第二法則と並ぶような、物理の第一原理だとしている点だった。この法則は、他の物理法則で予言できないことを説明するために必要な新しい物理法則だというのだ。

本書の冒頭に書かれているエピソードによれば、かつてプリゴジンは、熱力学の第二法則にしたがって自然はエントロピーを増加させる方向に遷移するが、その遷移の仕方はまったくランダムだと言った。それを聞いた著者べジャンは、そんなはずはない、そこにもルールがあるはずだと考え、コンストラクタル法則にたどり着いたのだという。

やや自説を誇大広告し過ぎている感じも受けたが、面白かった。とくに、コンストラクタル的な見方に立つと、生命/非生命や個/群の区別が本質的でなくなり、すべてが(設計者が不在の)「デザイン」だとみなせるという発想は新鮮だった。

一つ気になったのは、「物理の第一原理」は勝手に作っていいのか?ということ。
たしかに、それ以上理由を遡れない第一原理は物理には必要なんだけれど、コンストラクタル則をそこに含めるのは、なんか気持ちが悪く感じられて、コンストラクタル則もやはり力学などの第一原理を粗視化したときに得られる現象論的な法則なのではないか?と思いたくなってしまった。(そうだったとしも、十分価値のあるものだと思う。)ただもちろん、そう考えてしまうのは現行の物理に毒されたせいかもしれない。とはいえ、この「第一原理としてしまおう」というのは「意識」の議論でも出てくる論法なので、「科学の第一原理に相応しい法則の基準はなにか」ということが、この本を読んでいて気になった。

_______________________
この本の日本語版の監修者解説がとても読みやすくてよかったです。監修者は、コンストラクタル法則を「熱力学第二法則では満たすことの出来ない、べジャンの自然認識への願望を満たすことを可能にした原理」だと言い表していますが、ちょっと突き放しているところも含めて(笑)、すばらしく的を射た要約だと思いました。



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11.07
Thu
11月が始まったらだいぶ寒くなった.
街でクリスマスソングが流れるようになった.
まだまだ秋を楽しみたかったのにな...



Conversations on Consciousness: Interviews with Twenty MindsConversations on Consciousness: Interviews with Twenty Minds
(2005/11/10)
Susan Blackmore



先日,会社の上司と「人工知能」について話す機会があった.
スパコンをつかった全脳シミュレーションの延長上で,人間並みの知能をもつコンピュータをつくることもできるかもね,などという世間話.その上司は,割とコンピュータの進化について楽観的で,「いつか,我々の仕事も人工知能に奪われるかもしれない」といっていた.私は,普通の人よりは多く脳について考えてきたつもりなので,シミュレーションと人工知能は違うことなど,異議申し立てしたいこともあったのだが,その場で議論しても仕方がなく,「そうかもしれないですね」などと話を合わせるしかなかった.

今後は,日常会話のなかでも,人工知能の話が出てくることが多くなるのかもしれない.
「脳をコンピュータ内で精度よく模擬すれば知性が現れる」とか,もっと極端に「自分の意識をコンピュータにアップロードして不死身になれるのではないか」という直観をもつのは構わないのだけれど,ちゃんと考えるとそんなに簡単な問題ではないですよ?といいたくなる.なにせ,(「心身問題」から「心脳問題」へなど)呼び方は変わってはいても,それは人間が3000年くらい考え続けてきた問題なのだ.自分の直観だけを頼りにしたおしゃべりでは物足りないと思ってしまったしても堪忍してほしい.

「知能とはなにか」という問題のうち,もっともハードコアなのは「意識」の問題だと思う.物質である脳内の物理現象はどうやって主観的な意識現象をつくっているのか?私がこの問題に触れたきっかけは,茂木健一郎氏の著作だったが,茂木さん以外にも意識の問題に取り組んでいる日本人研究者は多くいる.それにもまして,英語圏では,the best and the brightestな人たちが,この問題について一家言を持っている感がある.

すごい時代に生きていると思う.
コンピュータや脳科学がものすごい勢いで進化していることによって,「意識とはなにか」というような問題が,専門家だけのものではなくなり,昔は浮世離れした学者たちしか論じていなかった問題について,誰もが興味をもち,議論する世の中になったのだ.

だから思うのは,非専門家のなかでも,哲学者・認知科学者・神経科学者が議論してきたことを,共有できたらいいのになということ.具体的には,「弱い人工知能」「強い人工知能」とか,「哲学的ゾンビ」「クオリア」など,意識と脳の問題に出てくる基本的な語彙をみんなが踏まえていたら,もっと面白い話ができるんじゃないかと思う(そんな話をしたいのは私だけ?そんなことないはず!).

ところが,「意識」の問題を勉強するのは案外難しくて,というのも,これほど専門家の意見にバラエティーがある話題もないから.ある人は,「クオリア」を軸に意識を論じているのに,別の人は「クオリアなんていうものは存在しない」と言ったりする.「クオリア」容認派中でもその解釈は無限に分岐する.だから,ある一人の専門家の本を読めば分かるというものではないことが,この問題の難しいところなのだ.

そんな中,良い本がありました."Conversations on Consciousness"(『「意識」を語る』という題で邦訳も出ています).

自身も意識の問題に取り組んできた心理学のSusan Blackmoreが,20人の哲学者・神経科学者・物理学者たちにインタビューをおこなうというもので,出てくる面々がすごい.「意識」を語るには欠かせないDavid ChalmersやJohn Searle,Dan Denneteはもちろん,今をときめくChristof KochやRamachandran,さらには生前のFrancisco VarelaやFrancis Crickなど錚々たるメンバーが登場する.

本当にみんな千差万別な考え方を持っていた.それは,直観的に近いものから,直観からやや距離のある立場まで.さらに,(これが不思議なのだけど)その直観自体も人によって差があって,例えばある人は「哲学的ゾンビ」という考え方をごく自然に受け入れることが出来る(そのうえで,それを擁護したり,実はイリュージョンだと言ったりする)のに,別の人はその考え方自体が初めから「ナンセンス」だと否定したりする.一つ感じたのは,自分で実験をして非自明な結果を出した人は,ほかの人にはない,キラリと光る説得力を持っているということだった(中でも,明晰夢を研究しているStephen LaBerge.あと,やっぱりラマチャンドランがすごい).

専門家の間ですらこんなにもすれ違っているのだから,自分の日常で意識談義を成立させるのは大変だな..というのが正直な感想.ただ,素晴らしいと思ったのは,自分の立場を説明する言葉をちゃんと持っていて,それをインタビューアーのスーザンブラックモアがうまく引き出しているところだった.

日本でもこんなインタビュー集ができないものだろうか.
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